個性的な子供でしたね。親は自由主義で個性を野放しにしてくれました。
後々問題になるまでは自由にやらして貰いましたね。母親はイラストレーターで嫌いなことや勉強を強制するような親では無かったので本当に伸び伸び育ちました。
おばあちゃんの肩に登ってぎっくり腰にさせたり、トンネルで頭をぶつける。学校から脱走など怪我と事件が絶えない子どもでした。
小学校の時に転校してから周囲と馴染めなくなり、周囲との違いがコンプレックスになって行きましたね
これぞADHDと言うエピソードですね!その後どうなりましたか?
中学以降は明らかな多動傾向のある帰国子女と仲良しになり二人でヤンチャを繰り返して居ました。
「2階から飛び降りる」「針金をコンセントに突っ込んで大怪我」など数々の伝説残し、ある意味学校生活は謳歌してましたね。教室から抜け出す癖や電車を降りずにどこまで行けるかなど本能のままに生きてました。
本格的に悩み始めたのは高校3年生の時ですね。「仕事として将来的に何らかの職業選択をしなくてはいけない」理由が本当に理解出来なかったんです。学校でしてきた勉強と違うので意味が解らず親にどうしたら良いか相談しました。「潰しが効くから理系に行ったらええ」と言われ理系の大学を進路選択しましたね。
僕ね、IQが高くて言語140あるし動作もそこそこ高いんですよ。正直何もしなくても成績良かったんです。
高校時代は周りから科学者になると期待されてましたが、理系クラスの授業に行ってみたら全然着いて行けなかったんです。
結局進路はどうなったのですか?
再び親に相談したら「美大に行って芸術家になればエエ」と言われ美大を受験しました。
当然、美大受験が土壇場で間に合う訳もなく無計画で高卒になりましたね。
親には「自立して独り立ちしろ」と言われましたが、当時の僕にはそれが何を意味しているか解らないんですね。今までの個性尊重のマイナスがドッと来た感じでした。
今になって考えると僕の場合、進路選択には言語化が必要だったんですよ。自分の特性をもっと理解していたら良かったと思って居ます
自己理解の難しさがありますよね。その後はどうなりましたか?
思い出してみても暗黒時代ですね。付き合って居た年下の彼女に二股掛けられてしまってリストカットから昼夜逆転で荒れてました。親も困って居たし「何とか大学だけは出てくれ」が口癖になってましたね。
模試を受けてみたら、英語と国語がめちゃくちゃ良かったので国公立に行く事にしました。
ただ入学してやっぱり授業に着いて行けないんですよね。
当時の僕は背が低い事が物凄いコンプレックスで自分に自信が無かった事もあり、履修登録もやっとの状態でした。周りが意識の高い学生ばかりだったので雰囲気について行けないんですよね。
結局1年で大学を中退しました。
はい。家から遠かった事もあり、通学もキツかったんですよね。
勉強だけはできるのでまたもや国公立大学入学を果たしました!
2回目の大学ですね。今回は頑張ってシラバス登録からキチンと出て居ました。
ただ4年生まで全く就活をしなかったんですよね。出版社でバイトして無職で進路不明のまま卒業した感じです。そんな状態なので実家にとりあえず帰る事にしました。25才の時ですね。
頭だけは良い無職なので公務員受験を考え実家に引きこもりで勉強してました。予備校に通うお金などは無いので自力で合格した感じです
いや、それがバレバレなんですよ。今までの経歴でどんな人なのか見抜かれていたようで惨敗でした。唯一残ったのが今の職場です。僕、小論文の試験遅刻したんですよ!残り20分で書き上げました。言語凸の馬鹿力ですよね。
その後見事面接に進む事が出来たのですが、ビジネスマナーなんて解らないので、スーツの上着をスボンの中に入れてたり今考えてもめちゃくちゃなんですが何とか合格出来ました!
よく受かりましたね!!本当に小論文が優秀だったんでしょうね。
一つ思い当たるのは母と縁のあるところだったんですよね。田舎って縁故採用が強いから受かったんだと思います。いや、もうほんとそれしか考えられないですわ。特殊な事例ですよ。最後まで母に救われてます。
いや〜しんどいですわ。基本終身雇用の年功序列なので完全なる村社会ですよね。
みんな阿吽の呼吸で仕事しているんですが、発達的にその呼吸が解らないし、高卒の人が多くて作業の意味自体は理解していないんですよ。テンプレートを並べてパターンで仕事を覚えてるんですよね。
質問する事は反抗と見なされ「常識や!」と逆ギレされるので解り合える感じがしなかったですよね。
頑張ってもADHD特有のミスで空回りするし、注意欠陥炸裂させてましたね。必要で無いところに労力を裂くのが辛かったです。
ほんとにそう思います。職場ではパワハラ、モラハラが凄くて完全な村八分状態でした。
正社員の若い男性が少ないのでどう扱って良いか解らなかったところもあると思います。社交的な方では無いのでコミュニケーションでも苦労しましたね。人を怒らせる天才で温厚な人でもブチ切れでした。まともな仕事が出来るわけがない精神状態のまま過ごしてましたね。家庭になるべくストレスを持ち込まないようにしていたのですが、奥さんとうまく行かなくなり離縁されてしまいました。
いろんな部署を転々として会社内でも問題になっていたんでしょうね。
頭は悪くないはずなので、対策を考えてくれる人たちが出てきたんですよ。
前の部署が初めて理解してくれましたね。優しい女性の上司に当たったんです。
明白な暴力にあっていたので筋トレやボクシングでストレスを発散していたのですがやっと戦いは終わったと思いましたね。
ところがですね、今度は上司が優しすぎて鬱になってしまったんですよ。
長い戦いが終わって緩んだんでしょうね。
鬱が原因でそこの部署も移動になり今は一人で黙々とやれる部署で膨大なデータ分析をしています。
これが自分にはとても合っていて今は順調です。
仕事のどういうところがご自身に向いていると思いますか?
人とのコミュニケーションが必要ない所とADHDの過集中で膨大なデータを処理出来る所ですね。
とても複雑なんですが、ミスをするのが当たり前だし後々フィードバックが貰えるので臆せず出来ています。
期限が緩い所も合っていますね。
他に特性の良い所を活かせたエピソードはありますか?
離婚した一週間後から婚活して再婚してるんですよ。この衝動性はADHDじゃ無いと出せないですよね。
現在は再婚して幸せです。奥さんも僕と似ていて高IQでASDタイプだと思うんですよね。
自分で特性を自覚して擬態してきたタイプで大企業にずっと勤めてますね。
会社でのパワハラモラハラで鬱になったからと婚活中に出会った定型女性との交際で感覚の違いに驚いたからですね。今まで会社がおかしいと思っていたのですがどうやらおかしいのは僕の方じゃ無いのかと初めて自分を疑っていきなり発達外来に行きましたね。
waisを受けてIQは非常に高いが大きな凸凹があり、医師に傾向と対策を教えて貰いました。
今はストラテラを飲んでいて、僕には大きな効果がありました。多動が収まり「急にシャッキリして剣豪みたいになっとるで!」と嫁にも言われます。
傾眠がありますね。ものすごい眠いです。
あと、僕大食いで目に入ったものは何でも食べたいのですがストラテラのおかげで食欲止まってますね。
性欲もあんまり無い感じです。吐き気とか頭痛みたいな重めの副作用は無かったですね。
思考のスパークする感じを自分で楽しんでいたのでそちらも止まってしまったのは残念です。
評価されなくても今の会社で働き続ける事ですね。発達民の皆さんいのち大事にしてください!
僕の親はとても良い親で僕の個性を尊重して育ててくれました。世間では変わり者扱いされてしまったけど何とか仕事は続いています。多動と知能で乗り切れてる局面があるので希望を捨てずに皆さんも頑張ってください!
本日はインタビューありがとうございました! 30代にして無茶苦茶濃〜い人生を送っていらっしゃいました。奥様と末長く仲良くされてくださいね
編集後記
早期での特性把握と環境調整が本当に大事だと思い知った事例だった。インタビューをしていて「個性を尊重しすぎる親」というのは初めてだったのだが、「自由にやって個性を尊重した結果、社会不適合になる」難しい問題だと考えさせられた。日本の社会がマイノリティーにとって過ごし辛い社会であり限り、この問題は解決しないのだろう。ADHD感溢れる方でお話していて筆者としては本当に楽しいのだが、この感覚が世間とズレていると言われると悲しさが込み上げる