どんな事がきっかけで受給されたのでしょうか?
父が亡くなった時に年金事務所に行く機会があり、以前から考えていた障害年金の相談をしてみたんですよ。社労士に頼むと30万円程度掛かるようですし、国民年金センターの方が「貴方なら自分で申請出来るから大丈夫!」と後押ししてくれた事もあって自分で申請する道を選択しました。
受給が決定したのはいつの事でしょうか?
令和元年10月に受給が決定しましたね。該当年金は障害厚生年金3級で予想通りでしたね。ネットで調べただけだと、厚生3級が通るか通らないかギリギリのラインだったので受給が決定して本当に良かったと思っています。
申請書を書く時に苦労した事はありますか?
初診の記憶が曖昧だった事ですね。8箇所も病院を転院しているので、いつ何処の病院にどんな症状でお世話になったのが詳細な部分までは覚えていなかったんですよ。日記か何かつけておけば良かったな〜と今になって思います。申請書では客観的に見た仕事上での困難を中心に4枚綴りで作成しました。嫌な過去も思い出して書かなくてはいけないので心理的に辛く感じる事もありましたね。
申請書を書いていて具合が悪くなる方もおられるようですね。どなたか頼りになる方はいらっしゃいましたか?
僕の場合は年金事務所の方が本当に良くして下さり、細々と時間をかけて添削してくださいました。普通はそこまでしてくれないと思うので運が良かったと思います。
医師も職員もある程度ガチャで受給できるかどうか決まってしまいますよね。ご自身が受給出来たポイントと考えている点はどのような事でしょうか?
一番大きいのは当時無職だったという点ではないでしょうか。初診は特に審査が厳しいので仕事をしていると通り辛いと聞いています。あとは、年間40回も病院に通った事ですかね。当時仕事を辞めて暇だった事もあり、かなりのハイペースで通院していました。自分の生きづらさを主治医に時間を掛けて伝える事よってより正確な書類の作成が可能だったのだと思います。診断書に通院回数を書く欄があるので、そちらも多少考慮された結果だと考えていますね。
通院回数は初めて聞きました(笑)。医師としては情報が多い方が良いですもんね。ご自身で申請書を作成する上で不安だった事はありますか?
僕は病院の転院回数がとても多く、受診証明が集まるか不安だったのですが、年金事務所の方が「多すぎて書ききれないので最初と最後の病院だけで大丈夫です」と仰ってくれたので救われましたね。最初の病院は平成22年で記録が残っているか心配でしたが、あっさり手に入れる事が出来て拍子抜けしました(笑)。
なるほど、遡りのルールも難しいのですね。診断書はどのように書かれていましたか?
日常生活の欄は5段階評価なのですが、殆どの項目が真ん中の「支援があれば出来る」に丸がついている状態でした。コメント欄には「ADHDで今後改善する見込みなし」と書いてあったのが最後の押しという感じでしょうか。診断書の症状は嘘偽りなく、重く書いて貰ったような事はありませんでしたね。
更新に関してはどのような記載がありましたか?
更新時は一般雇用のフルタイムで就労していたので半ば諦めていたんですよ。医師に「一般枠だが配慮されて働いている」と書いてくれた事でなんとか更新出来た感じはありますね。その直後に体調不良で会社を辞めているので非常に助かりました。
厚生3級は一般枠フルタイム就労も多いですよね。最近は厳しくなってきたので今後更新で落ちる方も出てくるかもしれませんね
そうですね。そもそもADHD単体で通るのが難しいんですよね。僕は初回申請の時もギリギリで受かったようなものだと思っているのでネットの口コミなどをそのまま鵜呑みにするのは危険ですね。詳しい方が身近にいるなら聞いてみた方が良いと思います。
POINT
初回申請時は無職で申請が無難である
更新で一般雇用の場合は可能であれば医師に「配慮を貰って働いている」と記載して貰うと更新しやすくなる
遡り請求は初診と診断名が違うと請求出来ない可能性がある