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当事者インタビュー

ADDタイプ(不注意優勢型ADHD)の当事者にインタビューして、日々の悩みや活用しているライフハックを聞いて来ました。生きづらい世の中を少しでも生きやすく!

【ADHD HSP】学生時代からの強い志をビジネスで体現しています。将来は特定の領域でのハイパフォーマーになりたい!

当事者インタビューコロナンテさん

コロナンテ(ンのど飴)さん

@coronante56788

2021.07.07

http://a.k.a.MCリンショウジョ。垢画像は架空人物。佐世保の島育ち、ADHD満喫系(診断済)でBtoBの事業開発&運営人(基本IT)。4月から東証一部企業でコンサル系プロマネ職 事業運営全般、広義のCS、NFL(ARI/BAL/SEA)、HIPHOP、漫画等がオキニ。20歳以降波乱万丈。HSP

以前から親交があるコロナンテさんにインタビューしてきました!

子供の頃はどんなお子さんでしたか?

HSP要素が強い子どもですよね。昔から人の感情にビビリがちで引っ込み思案でした。小4までそんな感じだったんですよね。小5でガキ大将と一緒のクラスになり転機が訪れました。ジャイアンみたいな感じの子なんですが、私がビビりなのを気にかけて、よく面倒見てくれたんですよね。彼と一緒にいるといろんな人が話し掛けてくれて、人と喋るコツを学びました。その頃から人見知りが無くなり、行動範囲が広がった感じですね

人生を変えてくれた一人ですね。ご家族はどんな方々でしたか?

父方の祖父と一緒に住んでいて6人家族でしたね。祖父・父・私の男ラインはADHD全開で私にADHD診断が出た時に、母は「うちの男達は普通の人と何かが違うと思ってた」と異論なく受け入れてくれたので、今は発達であることを必要以上に気にしていません

先祖代々のADHDだったんですね(笑)

父・祖父はADHDの中でも多動型ですね。飲食店で貧乏ゆすりが止まらず、お絞りも音を立てて破き、見る人が見れば分かる感じのADHDです。父は私と同じで内向的なタイプだったので人とトラブルになる事はほとんどありませんでした。家庭の中ではキッチリ細かいタイプの母・祖母と度々衝突もありましたが、うまく役割分担し、得意不得意を補い合っていました。私はパートナーシップ協定って家族間でも大事だと思う派なんですよ。今まで違う生活をしてきた個人同士が決め事無しに一緒に住むってなかなか難しいと思うので考え方として必要ですよね

確かに他人と生活する上ではパートナーシップ協定はあると良さそうですね。ハイキャリアのコロさんですが、お勉強は子どもの頃から出来たのでしょうか?

主要の5教科はなんとなく出来てしまったタイプですね。中学までは、内容の理解に苦労した記憶は殆どありません。ただ、ADHDもあり「家庭学習が、テスト前日・受験直前含め一切集中できず、壊滅的にできない」ことには大変苦労しました。特に大学受験は、「塾にも行けず家庭学習もほぼできないのに、浪人不可で難関国立大学専願」という、超無理ゲー縛りプレイ状態でした (汗)結果、「学校の時間だけをフル活用するか」「自分の認知特性・脳機能の特性の凸凹を活かすか」等、戦略的に攻略せざるを得ませんでした・・・(笑)

攻略が功を成して合格されたのですね。その他の教科は如何でしたか?

私はDCDがあるようで主要科目とは反対に体育・美術・家庭科など手先を使う動作は苦手でしたね。小中高と運動部に所属していたのですが、バスケットではHSPの気質が出てしまい、ミスに怯えて自分のプレイを追求する事に困難を感じていました

集団運動はチームワークや規律に厳しいイメージがあるので、苦手な発達さん多いですね

度々いじめに近いような事も受けていましたが、私は気が弱いのでNOと言えないんですよ。空気を読み過ぎてしまい、相手が強く出やすいのを助長するのでイジメられる原因になっていたのかな〜と推測します。今でも相手のネガティブな感情を受けると苦しくなってその場から逃げ出したい気持ちに囚われるあたりHSPっぽさを実感していますね

HSPもなかなか生きづらそうですよね

運動部だとキツめの弄りが入ったりするじゃないですか。あーゆーのに密かなストレスを感じていたんだと思います。HSPとASDは混同しやすいですが、私はASD要素がとても低いのに相手の気持ちには異常に敏感に反応してしまうのでHSPだと思っているんですね。自分にとってHSPは強みでも弱みでもあるんですが、一生付き合っていかなくてはいけないものなので、もう少し上手にコントロール出来ると楽になれるかもしれません

コロさんは着実にキャリアを積んできたイメージがあるのですが、学生時代から将来を見据えて進路を選択して来たのでしょうか?

団体競技をしていた高校時代から「集団を勝たせる仕組み」に興味があり、大学は社会学部を選んで「ヒトや集団に関する研究」をしていました。部活動のアメフトでも「スポーツ分析部隊」を編成し、選手およびチームを目標達成に導くためにデータをいかに最適な形にして提供出来るか日々試行錯誤を凝らしていました

学生の頃から志が高かったのですね!お忙しい学生生活だったと思いますが、アルバイトはされていたのでしょうか?

いくつかしてましたね。得意を活かした企業調査のアルバイトは楽しくやれていましたが、コンビニやカフェのような店舗系のアルバイトは苦手で色々やらかしていましたね。上の方が教えてくれる時って大体は聴覚からの継次処理で「最初にこれ、次にあれ」って教え方を口頭でされるじゃないですか。あれ本当に覚えられないんですよね。マルチタスクですし、細部を気にしながらのレジの操作も困難を極めました

成績と関係なく発達さん飲食系苦手ですよね。就職活動で思い出に残っていることはありますか?

学生の頃からやりたい事が明確だったので、一切迷う事なく受けたい企業にエントリーしていました。週40時間部活をしながら、地方から東京都や大阪まで出向く出張形式の就活だでADHDで考えられる就活の失敗は全てやり尽くしましたね。この時ほど秘書が欲しいと思った事はありません(笑)。エントリーシートの先延ばしから、高速バスの乗り忘れ、〆切忘れまでフルコンプリートしたので社会人になってからの学びに繋がっています

地方からの就活ってめちゃくちゃハードですよね

今でこそプロジェクトマネジャーなんてやってますが、当時はコンサルタントを志望していたのにロジカルに話すことが苦手でした。書類は通るものの面接で躓くんですよね。ADHDは面接で口の多動が出やすいので、対策しておくと良い結果に繋がると思います。第一志望には決まらなかったものの、大手のSIerに内定を頂けたので自分の就活としては満足していますね

入社してからはいかがでしがか?

入社当初はデータセンターに出向してシステム管理の仕事に携わったのですが、ログのチェックに非常に苦労しましたね。私はポコさん(筆者)と一緒で情報設計されてないテキストに弱いタイプなので、何でエラーが解消出来るのか調べても全然解らず坩堝に嵌る一方だったんですよ。WAISでいう絵画完成が凹とADHDの凹と重なったせいもあり自分の本来の力が出しづらい状況になっていましたね。手を動かして作業するのは本当に苦労したのですが、ミスが絶対に許されない部署なので作業ノウハウも充実していました。ヒューマンエラーの知見が得られたことは後々、運用や企画を行っていく上で大きな糧になりましたね

ここが基礎になっておられるんですね。さぞかし激務だったんでしょうね

激務だったのもありますが、諸事情で、数百万の借金を私が返すことになり1年半ほどトリプルワークしてたんですよ。月17万円の借金返済のために450時間(月間)働いていました。会社が夜の12時に終わると数時間仮眠を取り、朝3時半からバイトしてそのまま出社という生活をしていたので「私は来月生きているんだろうか…」と朧げな思想を巡らせていました。当然会社でのミスは増え、9段階評価で一番悪い評価をつけられてしまいましたね。遅刻が酷くて勤怠面でのマイナスが大きく響いたようです

意外な過去ですね…心身共に健康に戻れて何よりです。発達っていつ発覚したんですか?

6年ほど前かな〜。親友が発達障害の概念を教えてくれたんですよ。その時の自分はADHDの困りごとをフルコンボしてたんですが、諸々の理由で病院に行くのを先延ばししてたんですね。数年後プロジェクトリーダーをしている時に、上司から「頑張っているのは解るけど、遅刻だけはなんとかならないか?」と注意された事をきっかけに通院するようになりました。信頼出来る上司だったのでADHDの事を打ち明けたら「一緒に診断を受けて対策してみよう」と仰ってくれたんですよ。服薬と共に遅刻は改善してきましたね

理解のある上司に感謝ですね!当時は何の薬を飲まれていたんですか?

ストラテラですね。診断前は「特性は工夫して抑えるしかない」と思っていたんですが、薬が効いて来ると脳の中の霧が晴れたようになり、自分の中での危険信号が正常に作動するようになりました。また、霧が晴れて”思考を回せるスペースが広がった”間に、プロジェクトリーダーの仕事でも必須で、自分の課題解決にも有効なロジカルシンキングを身に着け、図解を用いる事によって思考の整理が成果に結びつくようになって来たんですよ。当時は副業+3つのプロジェクトを同時進行していてハイパーマルチタスクだったのですが、ストラテラのお陰で脳内のパンクを抑えることが出来、助かっていましたね

めちゃくちゃ働き者ですよね。コロさんが大事にしている企業での生存戦略はありますか?

2つあって、1つは「自分と相手の両方を分析する事」孔子の言葉にもあるのですが、人間関係は自分の面と相手の面とのすり合わせなんですよ。発達界隈で「ADHDは営業が向いている」みたいな雑な分析が行われていますが、各要素を細かくしっかり捉えないと根本解決にはならないんですよ

確かに「占いか!」って感じの雑な分析が横行してますね(笑)

大雑把に分け過ぎだと思いますね(笑)。2つ目は「自分の今の状態に合わせた戦略をとる」事ですね。自分が取るべき戦略ってRPGゲームに近いんですよ。回復が必要な時は無理に動かない方が良いと思いますしね。自分のパラメータや要素などを加味して、その時に必要な勉強をする事にしています

そこまで戦略を駆使しても合わなかった人って居ますか?

居ますね。距離感で調整するようにしてますが、自分と違い過ぎる場合はやはり難しいです。具体的に言っちゃうと「私を周りとの人間関係において板挟みして来る人」が苦手ですね。サイコパス要素が入ってる人だと人間関係の操作をやりがちなんですが、私のHSP要素が凄くダメージ受けるので人として合わないと思っています。ネガティブな感情を押し付けれると自分の思考回路が機能しなくなるんですよ

ギスギスしてる現場ってありますもんね

相手の考えている事や感情の予測が得意なので、マイナス面としてそういった空気を感じて適応障害になった事もあります。ビジネススクール時代に出会った友人に誘われてソーシャルベンチャーの立ち上げに関わっていたのですが、適応障害が出ると身体が本当に動かないんですよね。電車にも乗れないから毎日タクシー通勤してましたし、現場でもPCの前でフリーズして1日が終わっていました

適応障害辛いですよね(経験者)。ビジネススクールにも行かれてたんですね

自分に自信がついたのはビジネススクールに行って良かった事ですね。それまではあれこれ考えはするものの実行系にバグがあり、企画やサービスを実現する事が難しかったんです。運用をメインにやっていたこともあり、色々な観点と経験が積み重なった事で思考の多動を自分の強みにする事が出来ました

特性の強みは一朝一夕で見つかるものでは無いですよね。今困っていることは何ですか?

コロナの影響で在宅勤務なので仕事に入るスイッチが難しい事ですかね。5月までマネージャーやっていたプロジェクトでは、リアルタイムで裁かなくてはいけないマルチタスクに埋もれていたので、最近は業務にカンバンツールを導入しました。チームに日々50件ほどタスクが降って来るので可視化しないと全然片付いていかないんですよ。激務の間はコンサータ使っておけば良かったな〜と今になって思いますね。激務で先延ばししてたら、いくつかの病院を自然にフェードアウトしてしまったので薬が手に入らずじまいです(笑)

ここ一番の時は薬欲しいですよね。10年後は何をしていたいですか?

抽象的ですけど、特定の領域でのハイパフォーマーになりたいですかね。スクラップ&ビルドを繰り返して”個々人の性質も踏まえ、集団を活躍に導く支援”をする領域で、”かいぶつ”のような存在になりたいんです。ちょっとマゾな考え方ですが、自分を実験して変えていく事で新たな境地に辿り着けると思うんですよ。今はクライアントワークで「お客様のビジネスを勝たせる事」がビジネスゴールなのでIT業界で賞賛される改善事例が出せたらマネージャー冥利に尽きると思っています

ありがとうございました!ADHDハイパフォーマーコロナンテさんでした!

編集後記

インタビューを通じてハイパフォーマーの秘密に迫れた気がしている。HSP気質が強く、「メンタルが強い」とは決して言えないコロナンテさんがビジネスの世界で成功する為に揃えた条件は「継続した高い志」「長年培ってきた体力」「周囲と己を分析する力」だったのでは無いだろうか。誰もが手に出来る要素では無いが、ハイキャリア発達を目指す方も是非参考にして欲しい