どちらかといえば大人しい子どもでしたね。好奇心が強く本や漫画を読み漁っていた記憶があります。友人の家に行っても一緒に遊ぶというよりは友人の本を読んで夕方まで集中して読んでいるような子供でした。あまり干渉してこない子と仲が良く、一人で虫を捕る事なんかも好きでしたね。当時はガリガリの体型だったので男社会での序列は下の方になりやすかったですね。派閥があった時などは優柔不断で両方から無視されていました。今思えば長い物に巻かれておけば良かったなと思いますよ。
学業は優秀で勉強で困ることは無かったです。僕は発達障害者にしては珍しく聴覚優位なんですね。
学校の講義形式の授業も苦にならなかったし、居眠りしてても先生の言った事は頭に残っていました。
暗記中心の科目は特に点数が良かったですね。
反対に映像認知が弱く、目を閉じて何かを思い浮かべるという事が苦手ですね。目を閉じても瞼に光が入って来ない事に最近気づきました。映像認知ができないアファンタジアという部類の人間のようです。
絵を描くのが苦手で白い紙を見ても僕にとってはただの白い紙でしか無く、そこに何を描いて良いか解らないんですよね。イメージで何かを思考することが苦手で映像認知が強い人を羨ましく感じる事もあります。
なるほど。学生時代の人間関係についてはいかがでしたか?
空気が読めない事や平均的な人の発想が出来ない事に難がありましたね。
「大造爺さんとガン」という昔話が国語の教科書に載っていたのですが、他の子供は「大造爺さんの優しさに感動した」など先生の意図に沿った感想を述べているのに、僕は「大造爺さんは猟師なのに獲物を逃すのはおかしい」といった正論を述べてしまうんですよね。定型発達の子供たちと違って人の心情より正しい事が正義になりやすいのだと思います。
ふっくらした女性に「筋トレを一緒に頑張ろう!」と発言して顰蹙を買いました。運動が出来なくて悩んでいるのに余計な一言を言ってしまうのですよね。良かれと思って言ったことが裏目に出る事が多かったです。
社会に出てからは会社名を聞いて「〇〇事件で有名ですよね」など良からぬ発言をしてしまい大目玉を喰らった事があります。どこまで発言して良いのか常に考えているのですが、思った事が衝動的に出てしまいますね。
水泳部に所属していましたね。女子が多くバリバリ体育会ではなかった為、平和に過ごせていました。
水泳はバスケットボールなどと違い個人競技だからやりやすいですね。暗記してパターンで動くのは得意なので、25メートルを何ストロークでタッチすればいいか計算して効率よくタイムを上げる事に成功していました。バスケットボールのフォーメーションプレイが苦手で集団競技は避けていたのですが、10年程前から、あえて苦手な事に挑戦しようとバトミントンをやっています。競技の中で協調性や阿吽の呼吸など必要な事をスポーツから学ぶように心掛けていますね。
就職活動のエピソードをお聞きしてもよろしいでしょうか?
僕、就職活動は本当に得意だったんですよ!時間をかけて準備すれば大方どうにかなっていたと思います。
面接の対策本で面接官がしてくる質問を予想して答えを覚える事で対応していましたね。相手の反応を覚えておいて反応の良かった答えを次の面接でも使っていたので面接は得意になる一方でした。
予想外の質問が来た時は一瞬固まりますが、演技で乗り切れていましたね。普通の人よりは得意なはずです。
僕が会社に長くいられたのは人に合わせられるADHDの側面だったり、相手の心情に敏感に反応するHSPの力があったからこそ続いた結果なのだと思っています。僕がやっている当事者会で自分に適した職業が分からず現在の就職先で困難を感じていたり、働いても長続きしないという声を聞きます。何か力になってあげたいと常日頃考えています。
従業員5千人程度の会社に入社して今年で20年以上になるのですが、最初の挫折は事務処理でしたね。
同期に相談しましたが、みんな苦労していなくて悩みを共有できる人がいなかったですね。
仕事が終わらないので平日も夜遅くまで残り、土日も出社していました。
期日管理も大変で〆切を守れないんですよね。
後輩が出来てからは更に大変で、教える事の苦手に自身で気づいてしまい。後輩の仕事も自分で引き受け深夜まで働いていましたね。当時は就職氷河期の頃だったので失業したら人生おしまいだ!と必死でしたね。まだ若くて体力があったので乗り切れました。が今同じ事をするのは厳しいです。
会社の上司が合わず、鬱になり1回休職をしています。
ASD気質の上司で罫線の幅やフォーマットなど書類の細かい部分が非常に気になるようで物凄く詰められていました。ADHDの気質から考えてフォーマット通りのミスの無い書類は難しいので、ある程度裁量を与えてくれないと潰れる事を実感しましたね。また、若い頃は遅刻が多く朝起きれないと半休をとって午後から出社していました。そういう事を繰り返していると周囲の評価が悪くなる事まで気が回らなかったんですよね。今は心身共に成長したので色々な影響を考えて動けるようになりました。
読書が趣味で休職していた間にいろんな本を読んでいたんです。たまたま発達障害の本を読む機会があり、書かれていることはまさに自分の事では無いかと思いました。
転院した先でWaisを受ける事になったのですが、言語性と動作性の差が32あるのに当時出た診断はグレーゾーンで納得がいかなかった記憶がありますね。
薬は朝起きれるようにストラテラ、2ヶ月前からインチュニブを飲んでいます。インチュニブは抗ADHD作用というより不眠対策ですね。効き目はまだ解らないですが、医師の「ミスが多いのは心の多動性かもしれない」との言葉を信じて飲んでいます。学生の頃から寝起きの悪さに悩んでいたのでストラテラには救われています。
仕事だとアファンタジアの影響でミスが多いことですかね。資料に書いてある事を記憶するのが苦手で何度も見て写してを繰り返していると仕事が遅くなります。他の人達は資料に書いてある内容を大体記憶しているらしいんですよね。徹底的な暗記は強いのに日々変わる資料は苦手ですね。
あとはワーキングメモリが少ないせいか同時並行の作業が増えると頭が混乱し、時にフリーズする事です。年を取るに連れて年々重くなっている自覚があります。
聴覚記憶に優れているので耳から入った情報を纏める事が得意ですね。会議後すぐにみんなの意見を纏めて議事録にする事が出来ます。文章を書くのが苦にならない事もプラスに働いていますね。
あとは、想像力があることでしょうか。0を1にするよりも1を10にする発展系が得意です。
自身が開催している自助会で感じるのは発達障害を持っていると経済的な基盤を確立する事が困難だったり将来の生活に不安を感じている人も少なからずいると感じました。これは貧困問題とも関連が深いと思っています。そういう方の問題を解決できるようなお手伝いができればいいと思っています。また個人的な夢ですが、発達障害の方々が集まるカフェを開いて、同じ悩みを持つ方々で話したり、リラックスしていただいて、皆さんが前向きに生きるお手伝いをしたいと思っています