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当事者インタビュー

ADDタイプ(不注意優勢型ADHD)の当事者にインタビューして、日々の悩みや活用しているライフハックを聞いて来ました。生きづらい世の中を少しでも生きやすく!

発達特性を活かして障害があっても活躍できる世の中に!ADHD特性を活かして雇用の創出を目指します!

当事者インタビューマーチンさん

マーチンさん

@adhd_martin

2021.03.28

ADHDと自閉症スペクトラムの発達障害者です。新卒で就職した会社で発達障害が判明→障害者雇用にて転職(現在7年目)岐阜市で発達当事者会やってます。(発達ワークスぎふ)障害者雇用や雇用環境について興味あり

中部地区で自助会を開催し社会の課題に立ち向かうマーチンさんにインタビューして来ました!

子供の頃はどんなお子さんでしたか?

保育園の頃から「変わった子」と言われていましたね。落ち着きがなく集団行動をしていても何処かにフラッと行ってしまい親の躾を疑われていました。当時は発達障害に対して知見がある人がいなかったので特性だと解らず、親も肩身の狭い思いをしたと思います。保育園の勧めもあり途中から療育に通い出したのですが、発達障害と解らず通っていた為、発達特性の改善が見られたかといえばよく解らないですね(笑)

その時代(30代前半のマーチンさん)から療育を受けられた事に驚きです!ご両親や兄弟の事について教えてください

今思えば父はADHDの特性があったと思います。営業職で成績が良く所長まで務めましたが、本部に異動になってからは事務仕事が全く出来ず、発達特性の強さが悩んでいました。我が強く、母に内緒で趣味のスキーウェアを買い込んだりして度々母と口論になっていましたね。反対に母と妹は定型発達していると思いますね。妹は発達の鬼門とされる飲食店でリーダーから店長になった事もあります。僕が救われたのは発達障害の診断が出た時に母がすぐに受け入れて僕を否定しなかった事ですね。

家族に理解者がいると良いですよね!学生時代の人間関係はいかがでしたか?

友達は多かったですがイジメなどのトラブルはありましたね。中学までは問題行動を起こしからかわれる事が度々ありました。自分では気づかないうちにふらっとどっかに行ってしまって集団行動の支障になっていたんですよね。先生や部活のメンバーにはだいぶ迷惑を掛けたと思います。中学までの事を活かし、高校ではいじられキャラを確立してすんなり溶け込めましたね。当時の友人とは今も付き合いがあり仲良くしています。

勉強はどうでしたか?

基本的に勉強が好きではなくほとんどの教科はボロボロでしたが、社会科だけは好きだったので突き抜けて成績が良かったです。のちに進路を考える際も迷わず経済学部を専攻しました。社会情勢を考える事が好きで、自分の疑問を軸にPDCAを回す事に喜びを覚えました。講義はあまり集中していませんでしたがフィールドワークでは自分で考えた課題に関して先生に助言を貰って理解を深めていましたね。

就職活動はいかがでしたか?

僕は10年前、東北大震災が就職の年で苦労したのですが、ご縁があった2社に内定を頂く事が出来ました。面接やグループディスカッションが得意であまり緊張する事も無かったです。反対に書類を書くのが苦手でだったので履歴書の誤字脱字や印鑑を綺麗に押す事などに苦手を抱えていました。内定を頂けた中から地元の農協を選び就職しましたね。

農協ってどんな仕事をしているんですか?

一言で言うと銀行窓口も兼ねた何でも屋でしたね。地元では金融機関の役割を兼ねていたりするので。僕にはここでの仕事が本当に合っていなくて人生で一番派手に躓いた出来事でしたね。大事な書類をシュレッターに掛けてしまったり、同性同名の人に間違えて書類を渡してしまう事もありました。田舎なので集落には同じ苗字の方がいて、同姓同名な方までいたので書類の渡し間違えもあったりしましたね。やってはいけない事を全てやらかした気がします(笑) 農協ならではのジャガイモの種芋を配る仕事もあり、渡したつもりの記憶違いから均等に配る事に困難を抱えていましたね。最後になると種芋が足りないんですよ!あれは完全にトラウマです(笑)

農協の中でご自身が得意だった仕事はありましたか?

固い職場だったので得意が活かせそうな場面は本当に少なかったです。唯一強みが活かせた農協祭のイベントのコンペに採用された事があり、いつかは広報の仕事をやりたいと思っていましたね。上司に仕事上での困り事を相談しても「誰にでもある事。努力でなんとかなる」と言われてしまって特性上の困り感が伝わらないんですよね。そんな中で働いているうちに「自分はADHDでは無いのか?」という疑念が生まれ、障害者支援センターに連絡を取って病院を紹介して頂きました。就職して2年目の事で退職を決意しましたね。

当事者インタビューマーチンさん 当事者インタビューマーチンさん 当時者インタビューマーチンさん
なるほど。退職された後はどのような形で障害者雇用に漕ぎ着けたのでしょうか?

診断が出るまでに3ヶ月くらい掛かるので障害者手帳が発行されるまでの間に障害者職業センターで研修を受けていました。ピッキング作業や自己紹介などのコミュニケーショントレーニング、鬱のリワークなどのプログラムを経て自分の取り扱い説明書を作成していました。月1回のペースで病院に通い、通院3回目でADHDの診断が降りました。僕は作動記憶と聴覚記憶が弱く言語理解が高いタイプのようですね。結果を知る事によって自分の取り扱い説明書の精度も上げる事が出来て自己分析の大切さが解りました。

今は抗ADHD薬を飲まれているんですか?

抗ADHD薬は飲んだ事はないです。通院先の先生も発達障害の薬に関して懐疑的なようで抗不安薬としてアメル(デパス)を出されたのですが眠くなるだけで全く効果を感じられなかったので、何も飲まずに過ごしています。障害者職業センターでコミュニケーションやメモを取るなどの対策を行ったお陰で薬を使わず対処で乗り切っています。

障害者雇用の就職活動はいかがでしたか?

3ヶ月就職活動して30社受けて受かったのは1社でしたね。家族も居るのでどんな条件でも良いという訳では無く、給与やフルタイムなど条件指定していたら選べる会社は少なかったです。内定を頂いた今の会社で2014年から働いていて今年で8年目になります。

以前の職場と比べて障害者雇用は働きやすいですか?

一緒に働く人全員が発達障害を理解している訳ではないので給与は安いのですが、働きやすさはそれほど変わらない肌感はありますね。今の会社ではいくつか部署を移っているのですが、事務職の次に任された運転は本当に苦手で危険な事を伝えて部署を変えて貰いました。僕にとって仕事のやりやすさ=1つの仕事に集中出来る事なので、マルチタスクの連続である運転は危険極まり無いんですよ。

あまり障害特性を理解していない配属ですよね

今の会社は特性に合わせて仕事を選んでくれている感じは薄く、良くも悪くも発達障害における配慮は少なく感じます。色々と業務にチャレンジさせて貰い、障害の有無に関係無くフラットな扱いを心掛けているのは解ります。上司と全社的な定期面談以外ではしっかりと顔を会わせて話す事があまりないので、仕事の進め方や障害の困り感について一人で抱え込んでしまう部分はありますね。あまり率直に言い過ぎてしまうと角が立ちそうなので言うに言えない状況が続いています。

配慮は確かに言い出し辛いですよね

何か失敗した時に付け込まれる材料になるので聞かれない限りは自分から発達障害の話はしないようにしています。障害者雇用なのに配慮を言い出せないのももどかしいですけどね。今は倉庫の出入力の管理などをしていて運搬やフォークリフトにも乗るので、こちらもマルチタスクなんですよ(笑) 運転で一度配置替えを申し出ている以上、2回目は雇用が無くなる怖さから言い出せない現状がありますね。

なかなか難しいものですね。今はどんな業務をされているんですか?

今の倉庫管理業務をしています。ミスが許されず自分のペースが保てないのが悩みですね。上司とペアを組み荷物のチェック業務を行うのですが僕が発達障害である事を知っていても、どやされますよね。短期記憶が弱いので確認したかどうか解らなくなるんですよ。自分の視野の中に無いものは気付けない発達特性で日々苦労しています。フォークリフトの免許も取らせて頂きましたし、将来に期待して下さっていて会社には本当に感謝していますが、10年後も同じ仕事を続けるか?と聞かれたらはっきりYesとは言えないですね

なるほど。ご自身ではどんな働き方が合っていると思いますか?

一人で完結する仕事の方が楽なんですよね。人と話すのも好きですが、共同で作業をするとなると調整が大変でペースが崩れてしまうんです。僕はASDの傾向もそこそこあるようで突発的な仕事の変更や差し込みの仕事は苦手なんですよ。締め切りは守れますが、一定量の仕事を自分の裁量で調整出来る方が向いていると思っています。

ご自身の強みは何でしょうか?

ADHDの無鉄砲なバイタリティーですね。自身で自助会を2年程前から開催しているのですが、当事者は本当にいっぱいいっぱいな人が多く障害者雇用の給与や将来性などに疑問を感じています。将来的には発達障害者の就労支援がしたいですね。自分も働きつつピアサポートみたいな立場で当事者を支えられれば良いと思います。

参考にされている経営者はいらっしゃいますか?

元ヤマト運輸社長小倉昌男さんが「福祉と経営」という本を出していて参考にしています。舞台はヤマト運輸の福祉団体で20年前から現在まで「障害者の作った物が売れず、就労移行がデイサービスと化していて雇用の創出になっていない」という同じ問題を引きずっている事に驚きましたね。障害者が特性を活かせず、実社会で中々活躍できずにいることに胸が痛くなりました。家族が許せば大学に通って精神保健福祉士資格を取得して当事者の理解を深めたいです。「福祉と経営」を両立させてみんながギスギスせず幸せになれる道を探せれば良いですね。

ありがとうございました!「障害者雇用の配慮」を改めて深く考える機会になりました。マーチンさんのやられている自助会ブログはこちらになります!

編集後記

田舎に関しては自助会や障害者雇用も少なく発達障害者の暮らし辛さが顕著に出ていると感じた。「福祉と経営」の両立が叶った先に発達障害の明るい未来があると強く思えたインタビューだった。マーチンさんには是非夢に向けて頑張って貰いたいと思う。