年金を受給した当時はどのような状態だったのでしょうか?
診断はASDと気分障害、双極性障害などの鬱症状ですね。希死念慮が強く「この状態はヤバいかもしれない」と判断すると自分で病院に入院するようにしていました。31才で4回目の入院をした時に病院の中でケースワーカーさんに障害年金を勧められた事から申請に踏み切りました。当時の精神福祉手帳は3級で、掛かっていた病院では「障害年金は受給出来ないと思う」と言われていたので障害基礎年金1級の年金証書を手にした時は本当に驚きましたね。
入院中の精神状態で申請書が書けた事が凄いと思います
外出は緩かったので自身で診断書と申請書を取りに行きました。僕は3才の頃に都立病院の児童精神科が最初の受診になるんですよ。「知能が足りているので自閉症では無い」と診断を受けたのが最初の病院です。本来はそこの病院を初診日にするべきなのですが廃院になってしまって不可能でしたね。この時点で遡りの請求は諦めています。
初診の病院はどちらになりましたか?
大手の総合病院に24才の時に入院したものが初診になりました。電子カルテだったので奇跡的に残っていたんです。大学時代に掛かっていた保健管理センターの紙データも破棄されていたので「やはり電子データは強いのだな」と思いましたね。僕の初診状況だと初診請求は無理だったので事後重症で申請する事にしました。
診断書はどのようになっていましたか?
発達障害に強いクリニックの先生だったので年金を取りやすく出来るように診断書を書いてくれていたんですよ。母も診断書のヒアリングの為に同行してくれました。発達障害の私は先生のポジショントークに気付けず、あまりにも何も出来ない事になっている診断書を見て泣いてしまったんですね。私は20才前に発達障害の診断が確定しているので障害厚生年金ではなく障害基礎年金になる事が確定していました。診断書には過去の黒歴史が全て書かれていて、カード破産した事まで詳細に載っていました。生活能力の項目も「出来ない」がほとんどです。総合判定も当時は5段階中の重い方から1番目で付いていました。どう見ても一人で生活する事が極めて困難と解る診断書だったので障害基礎年金1級が降りたのだと思います。
ご自身で申請書を書く上で苦労した部分はどこでしょうか?
初診証明をどこでとるかがすごく悩んだ事ですね。3つ目の病院に当時の先生がまだ在籍されていて安心しました。自分の記憶力に助けられた部分でもあったのでここは発達障害でも良かった部分です。あと辛かったのは自分の黒歴史を掘り起こし文章にして行く事でしょうか。私は日頃デスノートのつもりで黒歴史をノートに書いていたので記憶自体は鮮明で過去が思い出せないという事は無かったですが、メンタル面では非常にキツく胸がえぐられるような思いで頓服薬を飲む回数が必然的に増えました。病院でPCを使う事が出来ないので地域生活支援センターのPCを使って申請書を作成しましたよ。メンタルの限界が来ないように調整してやっていましたが、最近は2年に1回の更新なので次の申請がどうなるか非常に不安です。
昔は2年に1回では無かったんですか?
昔は症状が固定していると5年に一度の更新で等級が決まっていたんですよ。医師の診断書では「症状固定日」という現代の治療をもってしても回復が見込めないとする年齢が20才になっていました。最近は受給審査も厳しくなり、症状固定に関係無く2年に1度の受給審査になりましたね。厚生労働省の判断も厳しくなったので2016年の審査では障害基礎年金1級から障害基礎年金2級に等級が降格されていました。
受給金額はどの程度でしょうか?
障害基礎年金1級の時は年間92万円だったと思います。障害基礎年金2級の今は70万程度ですかね。両方とも支援給付金で月に5000年が追加されます。仕事が出来る状態では無く、ずっと家に居るので2級が貰えているのだと思っています。なんとか仕事をしてお金を稼ぎたいのですが現状収入は得られていません。
何か訓練などに通われているのでしょうか?
1回就労移行支援で失敗してしまってからは、なかなか次に繋がらず無職のまま現在に至ります。就労移行支援でプログラムが合わずストレスが掛かってしまった事と訓練内の自己分析で自身と向き合っていたらメンタルをやられてしまった事が重なり体調を崩してしまったので訪問看護の方にいつもより頻繁に訪問してもらっていました。
なるほど。本当にメンタルに来てしまうタイプなのですね
はい。年金更新の際も大学病院で1日掛りで臨床心理士さんと面談をしていたら精神的負荷により再入院になった事もあります。通常は数日に分けて更新の為のヒアリングを行うのですが、都合上1日で強行突破したら一気に調子を崩してしまいましたね。
これから障害年金の申請を行う方にアドバイスはありますか?
発達の方は先生のポジショントークが解らずに年金が通るように書いてくれている診断書の修正を求めたりする事があるので注意が必要ですね(笑) どう見ても私より重症の方が2級の審判が来ていましたから。精神障害者福祉手帳の等級割合を見ても1級って相当少ないんですよ。体調が思わしくない私の代わりに母が年金証書を取りに行き、その場で開封したようです。障害基礎年金1級の結果を受けて地域生活支援センターの職員にも「精神で初めて1級を見ました!」と言われたそうです。
(読者は子どものいる方がいたりします?) はい。おられる方もいます。
私の場合、3才で児童精神科に掛かった特殊な事例なので、同じようなお子さんを持つ方へアドバイスしますね。生育記録を簡単でも良いから残してあげて欲しいです。私のように記憶で過去の病院を全て辿れる人は少数派なので、大人になって障害年金を申請する事になった時の事を考えて病院名を残すのは勿論の事、福祉に繋がっている方との連携を作ってあげてください。福祉の方は医師と違って長期的な付き合いになるので申請書の黒歴史を辿る際にも力を貸してくれると思います。
POINT
厚生労働省の障害等級判断基準は年々厳しくなっている
電子カルテは紙のカルテと違い残っている可能性が高いので病院が電子カルテかどうかチェックしておく
子供が将来障害年金を取得するかもしれない事を考えて記録は残しておく